東京高等裁判所 平成8年(ネ)1199号 判決 1998年1月21日
控訴人(原告)
甲野太郎
同
乙山次郎
控訴人両名訴訟代理人弁護士
上本忠雄
同
和久田修
同
金崎淳
被控訴人(被告)
国
代表者法務大臣
下稲葉耕吉
指定代理人
前澤功
外四名
主文
一 原判決を次のとおり変更する。
1 被控訴人は、控訴人らに対し、それぞれ六〇万円を支払え。
2 控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は、第一、二審を通じこれを五分し、その四を控訴人らの、その余を被控訴人の各負担とする。
事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人ら
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は、控訴人らに対し、それぞれ一〇〇万円を支払え。
3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
1 本件控訴をいずれも棄却する。
2 控訴費用は控訴人らの負担とする。
第二 事案の概要
本件事案の概要は、次のとおり原判決の記載を補正するほかは、原判決の「第二 事案の概要」に摘示のとおりであるから、これを引用する。
一 原判決の「第二 事案の概要」中に「収容」とあるのは、すべて「拘禁」と改める。
二 原判決三枚目表三行目の「状況」の次に「及びその後の経過」を加え、四枚目裏二行目の「事実取調べ」を「事情聴取」と改め、同行の「状況」の次に「及びその後の経過」を加える。
三 原判決五枚目裏一〇行目から六枚目表一〇行目までを次のとおり改める。
「4 革手錠及び金属手錠について
本件において控訴人らに対して使用された革手錠は、一本の腹部ベルトと二個の腕輪から構成されている戒具(監獄法施行規則(以下「規則」という)四八条参照)である。
腹部ベルトの規格寸法は、長さが一四〇センチメートル以内、幅が4.5センチメートルであり、ベルトの材質は牛革であるが、二層構造となっており、一層と二層の間に銅線を入れることで強度を保っている。この腹部ベルトには、通常のベルト穴に相当する穴が四個空けられており、通常のバックルに相当する部分は、鉄製の尾錠となっており、ねじ穴が設けてある。そして、このねじ穴にら旋錠をねじ込むことで施錠する。
また、腕輪の材質も牛革であるが、腹部ベルトに装着させるためのかすがい形角鉄が付いている。このかすがい形角鉄を通せる穴が異なった位置に三つ平行して開いており、腕輪の内径を被使用者の腕の太さによって調節できるようになっているが、細かく調整することはできない構造である。
そこで、革手錠の腕輪から被使用者の手首が抜けることを防止するために、通常、金属手錠を、左右の手首に手錠各一個をそれぞれ二輪にし、革手錠の腕輪の手首側に装着させ、併用する。
金属手錠は、被使用者の手首や手の甲の太さに応じて、きつくしたり、緩くするなど調節が可能であるが、手錠がロックされていない状態のときに手を動かすと、一段階が約五ミリメートルの間隔で一〇段階に手錠が締まっていくようになっている。
5 保護房の状況等について
控訴人らが拘禁された保護房は、間口が約二メートル一五センチ、奥行が約二メートル九〇センチメートルの四隅が角切りされた概ね長方形の房であり、房内の壁面は板張りされていて、一つの壁面の上部に高さ約四四センチメートル、幅約八五センチメートルの不透明なプリズムガラスが嵌め込まれた採光窓が設けられ、房扉及び房側面に監視窓(視察口)が設けられている。また、房正面の壁に換気扇の付いた換気口が設けられており、房の天井には監視カメラと蛍光灯が設置されている。
保護房の正面の両隅に和式便器と流しが設けられているが、排水等は、被拘禁者が房内から行うことはできず、房外から職員が行う構造となっている。房内の床面は、ウレタンの塗り床で、畳等の設備はない。
被拘禁者には、手錠を使用されたままでも用便が可能なように、股の部分に切込みのある「股割れパンツ」及び「股割れズボン」を着用させることが多い。
保護房内における食事の際には、幅約四三センチメートル、奥行き約三三センチメートル、高さ約三〇センチメートルの段ボール製の食台が置かれ、パレットの形状をした発泡スチロール製の器が主食の米麦及び菜用の食器として使用され、紙製のへらの形状をしたスプーンが添えられる。汁用には、底のある食器が使用される。
〔乙三、当審・検証の結果、弁論の全趣旨〕」
四 原判決九枚目表六行目の「保証」を「保障」と改め、六、七行目の「憲法一三条」の次に「、奴隷的拘束からの自由を保障する憲法一八条」を、七行目の「及び」の次に「市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「国際人権規約B規約」又は単に「B規約」という。)七条」を、一〇枚目裏六行目の「一三条、」の次に「奴隷的拘束からの自由を保障する憲法一八条、」を、同行の「五条、」の次に「国際人権規約B規約七条、」を、それぞれ加える。
五 原判決一三枚目裏五行目の「保護房に関しては、」から六行目の「規定はないが、」までを「保護房拘禁は、監獄法上、直接明文の規定は存しないが、監獄法一五条及び規則四七条の「独居拘禁」の一種と解されているところ、」と改める。
六 原判決一七枚目裏七行目の「ズボンについては」を「ズボンを着用させたのは」と改める。
七 原判決一八枚目表七行目から裏二行目までを次のとおり改める。
「五 争点
1 本件刑務所職員が控訴人甲野に対して違法な暴行をしたか否か。
2 控訴人甲野に対する保護房拘禁措置が違法か否か。
3 控訴人甲野に対する手錠使用が違法か否か。
4 控訴人甲野に対する懲罰が違法か否か。
5 本件刑務所職員が控訴人乙山に対して違法な暴行をしたか否か。
6 控訴人乙山に対する保護房拘禁措置が違法か否か。
7 控訴人乙山に対する手錠使用が違法か否か。
8 控訴人乙山に対する懲罰が違法か否か。」
第三 当裁判所の判断
一 控訴人甲野に対する面接の状況、保護房拘禁、懲罰処分の経緯等について
控訴人甲野に対する面接の状況、保護房拘禁、懲罰処分の経緯等についての当裁判所の認定事実は、原判決の「第三 判断」の一に記載するところと同旨であるから、これを引用する。
ただし、原判決一八枚目裏四行目「甲野」の次に「(原審・当審)」を、五行目の「状況」の次に「、保護房拘禁、懲罰処分の経緯等」を、二〇枚目裏六行目の「見ていた」の次に「本件刑務所長から保護房拘禁に関する権限の委任を受けていた」を、同行の「第二区長は、」の次に「控訴人甲野について、職員に暴行を加えるおそれがあり、普通房に拘禁することは不適当であると認め、」を、それぞれ加え、二〇枚目裏七行目、一一行目、二一枚目表二行目、裏三行目、二二枚目表九行目、裏二行目の各「収容」をいずれも「拘禁」と改め、二一枚目裏二行目の「両手を」の次に「腰部の」を、同行の「手錠をかけ」の次に「(両手首は、背中側で腰部に装着された革ベルトに腕輪を通して固定される。)」をそれぞれ加え、二、三行目の「その上から」を「さらに、革手錠の腕輪から控訴人甲野の手首が離脱することを防止するため、」と、三行目の「手錠をかけ」を「手錠各一個をそれぞれ二輪にしてかけて」とそれぞれ改め、同行の「保護房を」を削り、六行目の「後手錠」を「両手後ろの方法」と、二二枚目表一行目の「前手錠」を「両手前の方法」と、それぞれ改め、二二枚目表一行目の「使用される」の次に「(両手首は、腹側で腰部に装着された革ベルトに腕輪を通して固定される。)」を加え、三行目の「同日」から四行目の「解除され、」までを削り、四行目の「夕食を」を「夕食は」と、一一行目の「それが」から二二枚目裏二行目の「二五日には」までを「二月二一日午後零時ころ、蒔山保安課長は控訴人甲野に対する手錠の使用方法を両手前に変更し、二月二四日午後零時一〇分ころ、控訴人甲野の興奮状態がしだいに鎮静化してきたので、監督当直者の判断により控訴人甲野に対する手錠の使用をすべて解除し、翌二五日午後五時一〇分ころ、蒔山保安課長は、控訴人甲野に対する保護房拘禁の事由が消滅したものと判断し、」と、二三枚目表二行目の「被収容者」を「在監者」と、それぞれ改める。
二 争点1(本件刑務所職員が控訴人甲野に対して違法な暴行をしたか否か)について
争点1についての当裁判所の認定判断は、原判決の「第三 判断」の二に説示するところと同旨であるから、これを引用する。
ただし、原判決二三枚目表九行目の「収容」を「拘禁」と、裏一行目の「に徴すると、」から二行目末尾までを「も併せ考慮すると、控訴人甲野本人の供述によって控訴人の右主張事実を認めることはできない。」と、六行目の「からすると、原告甲野の右供述は信用できない。」を「を併せ考慮すると、控訴人甲野の右供述を直ちに採用することはできない。」と、それぞれ改め、一一行目の「避けがたく」を削り、二四枚目表五行目の「在監者を収容し、」を「監獄の安全と」と、七行目の「在監者を収容し、」を「本件刑務所の」とそれぞれ改める。
三 争点2(控訴人甲野に対する保護房拘禁措置が違法か否か)について
1 原判決二四枚目裏二行目から一〇行目までの記載を引用する。ただし、四行目の「主張」の次に「し、原審証人佐藤政幸はその旨証言」を加え、八行目の「原告」から九行目の「すると、」までを、「反対趣旨の原審における控訴人甲野の供述に照らすと、右の佐藤証言から」と、一〇行目の「は認められない。」を「認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。」と、それぞれ改める。
2 保護房とは、行刑実務上、在監者が興奮して自殺、自傷又は暴行のおそれのある場合、あるいは大声を発するなどして舎房全体の平穏を害し、その秩序維持に支障を与える等のおそれのある場合に、在監者を拘禁してこれを鎮静し又は保護するため設けられた特別の設備、構造を備えた独居房を指すものであり(甲七号証、弁論の全趣旨)、この保護房への拘禁は、「在監者ニシテ戒護ノ為メ隔離ノ必要アルモノハ之ヲ独居拘禁ニ付ス可シ」と定める規則四七条に基礎をおく、戒護のための独居拘禁措置であると解される(なお、独居拘禁については監獄法一五条参照。)。
そして、監獄法及び規則には右の保護房拘禁の要件、手続等について具体的に規律する条項は存在しないから、右の保護房拘禁の必要性に関する判断は、基本的には、監獄における施設及び在監者の管理について責任を負っている所長の専門的知識ないしは経験に基づく裁量に委ねられているものということができる。
しかしながら、保護房拘禁は、被拘禁者を他の在監者から隔離し、前示のように狭隘で極めて閉塞感が強い房内に拘禁して、被拘禁者を刑務所職員の常時監視下におくものであり、このため通常の居房における拘禁状況と比べると、被拘禁者の心身に対し強度の悪影響を及ぼすことは避けがたいものと認められるから、保護房拘禁はできる限り抑制的に行われるべきものである。そして、このことと、本件通達(甲七号証)において、「保護房には、『職員又は他の収容者に暴行又は傷害を加えるおそれがある者』、『自殺又は自傷のおそれがある者』、『制止に従わず、大声又は騒音を発する者』等に該当するものであって、普通房に拘禁することが不適当と認められる場合に限り、拘禁するものとする。」とし、また、「保護房に拘禁すべき事由が消滅したときは、直ちに拘禁を解除しなければならない。」とする等、保護房拘禁の必要性に関する判断基準をより具体的に定めて、保護房拘禁の必要性の判断に関する所長の裁量権の行使に制約を設けようとしており、かつ、本件通達の定める保護房拘禁の要件に関する右の規定内容が、保護房拘禁の目的等に照らし一定の合理性を有するものと解される(ただし、本件通達の右の定めにいう「おそれがある」とは、抽象的な「おそれ」の存在では足りず、具体的な「おそれ」が存在することを要するものと解すべきことはいうまでもない。)ことを考慮すると、ある在監者について保護房拘禁の必要性があるとした所長の判断が、本件通達が定める要件を充足する事実が存在していないのにかかわらず、これが存在するものとしてなされた場合には、右の判断は、所長に委ねられた裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものとして、違法の評価を免れないものというべきである。
3 そこで、これを本件についてみると、控訴人甲野は、右のとおり本件刑務所職員に対して積極的に暴行を加えようとしたものとまでは認められないが、佐藤第一係長の居房に戻れとの指示に反し、大声を出し、居房に連行しようとした職員に対し、体を左右にゆすり、足をばたばたさせるなどして執拗に抵抗したのであるから、本件刑務所長から保護房拘禁に関する権限の委任を受けていた第二区長において、控訴人甲野について、大声を発し、職員に対し暴行を加えるおそれがあり、普通房に拘禁することは不適当であると認め、保護房拘禁の必要性があると判断したことが、本件通達が定める要件を充足する事実が存在していないのにかかわらず、これが存在するものとしてなされたものと認めることはできず、右の判断が、委ねられた裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものということはできないというべきである。
また、控訴人甲野は、引用に係る原判決の第三の一6に認定のとおり、平成三年二月二〇日午後二時二〇分ころ保護房に拘禁された後も、保護房内を徘徊し、保護房の壁を蹴ったり、職員を睨み付ける等の行動をとっていたのであるから、控訴人甲野の興奮状態が鎮静化したことにより、控訴人甲野に対する保護房拘禁の事由が消滅したものと認め、保護房拘禁措置を解除した同月二五日午後五時一〇分ころまでの間、控訴人甲野を六日にわたって保護房に拘禁し続けた蒔山保安課長の保護房拘禁継続の必要性に関する判断も、それが委ねられた裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものとまでは認められない。
その他、本件において、控訴人甲野に対する保護房拘禁措置が、戒護のための独居拘禁措置とは関係のない目的や動機に基づいてなされた等、本件刑務所長に委ねられた裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものと判断すべき事情を認めるに足りる証拠はない。
4 したがって、控訴人甲野に対する保護房拘禁措置が違法であるとは認められない。また、控訴人甲野に対する保護房拘禁措置が「何人も、いかなる奴隷的拘束を受けない」ことを保障した憲法一八条、あるいは拷問を禁止した憲法三六条、更には「すべて国民は、個人として尊重される」ことを保障した憲法一三条に反するものとも認められない。
四 争点3(控訴人甲野に対する手錠使用が違法か否か)について
1 原判決二六枚目表二行目から裏八行目までの記載を引用する。ただし、裏二、三行目の「であって」の次に「、身長一六二センチメートルほどの」を、三行目の「証人蒔山」の次に「、控訴人甲野、弁論の全趣旨」を、それぞれ加える。
2 手錠(革手錠及び金属手錠)は、監獄法及び規則が規定する戒具の一つであり(監獄法一九条、規則四八条)、原則として、所長の命令がない限り使用することができない(規則四九条一項本文。もっとも、緊急を要するときは職員の判断で手錠を使用することができるが、この場合においては、職員は、手錠の使用後、直ちにその旨を所長に報告して、その承認を得なければならないとされている(規則四九条一項ただし書、同条二項)。なお、本件においては、引用に係る原判決の第三の一3ないし6に認定のとおり、控訴人甲野に対する手錠の使用に関する判断を行ったのは蒔山保安課長であるが、右の認定事実に照らせば、手錠の使用の必要性に関する判断については緊急性があったものと認めることができ、かつ、蒔山保安課長は、控訴人甲野に対する手錠の使用後、直ちにその旨を本件刑務所長に報告して、その承認を得たものと認められる(原審・蒔山証言、弁論の全趣旨)から、その手錠使用の手続面において違法は認められない。)。
ところで、手錠の使用の条件について、監獄法一九条は「在監者逃走、暴行若クハ自殺ノ虞アルトキ……ハ戒具ヲ使用スルコトヲ得」る旨を定め、右の規定を受けて、規則五〇条一項は「手錠……ハ暴行、逃走若クハ自殺ノ虞アル在監者ニシテ必要アリト認ムルモノニ限リ之ヲ使用スルコトヲ得」る旨を定めているところである。
右の監獄法及び規則の規定内容に照らせば、具体的な場合における手錠の使用の必要性に関する判断については、一定の範囲において、監獄における施設及び在監者の管理について責任を負っている所長の専門的知識ないしは経験に基づく裁量に委ねられている部分があることは否定できない。
しかしながら、戒具としての手錠の使用は、被使用者の身体を拘束する態様が直接的であり、かつ、その身体の拘束の程度が極めて大きいものであって、手錠の使用により被使用者が受ける苦痛が重大なものであることは明らかであるところ、本件通牒(甲八号証)においても、右の特質を踏まえて、手錠の使用は法令に定められた事由のある場合に限り、その使用目的に従って、かつ、目的達成のための最小限度において使用されなければならない旨を明らかにしていることにかんがみれば、所長が行う手錠の使用の必要性に関する裁量判断は、暴行、逃走若しくは自殺の具体的なおそれがある在監者について、手錠を使用することが必要であると認められる場合に限り、かつ、戒護の目的達成のための最小限度の範囲、方法において使用されなければならないとの判断基準に基づいて、合理的にされなければならないものというべきであって、ある在監者について手錠の使用の必要性があるとした所長の判断が、あるいは具体的に行われた手錠の使用方法に関する所長の判断が、右の判断基準に照らし合理的なものとして肯認できない場合においては、その手錠の使用は、所長に委ねられた裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものとして、違法の評価を免れないものというべきである。
3 そこで、これを本件についてみると、引用に係る原判決の第三の一2、3及び三2(一)に認定のとおり、控訴人甲野は、多数の本件刑務所職員に取り囲まれて保護房の前まで連行されてきた際に、右手に持っていた紙を取り上げようとした蒔山保安課長に抵抗し、紙を取り上げられまいとして職員の抑止を振り切った勢いで、その右腕が蒔山保安課長の顔面付近を通過したところであるが、これは、あくまで職員の制圧行為に対し抵抗しようとした控訴人甲野の挙動のはずみによるものであって、職員に対して積極的に暴行を加えようとしたものとまでは認められないから、右の控訴人甲野の挙動それ自体をとらえて、控訴人甲野が職員に対して暴行を加えようとするおそれがあったものとすることはできない。
しかし、前示のように、控訴人甲野において、終始、職員の指示に従おうとせず、連行しようとした職員に対して執拗な抵抗を反復、継続していたこと、また、このような一連の経過を通じて控訴人甲野においては相当な興奮状態にあったものと窺われること等の、控訴人甲野が保護房前まで連行されてくるまでの経緯や右の保護房前での挙動を総合考慮すれば、蒔山保安課長において、控訴人甲野が本件刑務所職員に対して暴行を加えようとする具体的なおそれがあり、手錠を使用する必要性があると判断したこと自体については、前示の手錠の使用の必要性に関する判断基準に照らし、合理性を欠くものと判断することはできず、したがって、控訴人甲野に対し、革手錠及び金属手錠を使用したこと自体については、本件刑務所長に委ねられた裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものということはできない。
4 しかしながら、以下に述べるとおり、蒔山保安課長において、控訴人甲野に対し、保護房内において、平成三年二月二〇日午後二時二〇分過ぎころから翌二一日午後零時ころまでの間、革手錠及び金属手錠を両手後ろの状態でかけ、その使用を継続したことの必要性に関する判断については、前示の手錠の使用は戒護の目的達成のための必要最小限度の範囲、方法において使用されなければならないとの判断基準に照らし、その合理性を肯認することは到底できないものというほかはなく、右の両手後ろの方法による手錠の使用は、本件刑務所長に委ねられた裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものとして、違法の評価を免れないものというべきである。
(一) すなわち、まず、保護房内において、両手後ろの方法により革手錠及び金属手錠を使用されることにより、被使用者が受ける身体の拘束の程度及びこれに伴う苦痛の程度等についてみると、両手後ろの方法により手錠を使用されると、両手首が腰部の背中側で分厚い腕輪を通して革ベルトに固定されているのであるから、被使用者は身体の挙動の自由を著しく奪われることになり、例えば、被使用者が自分で排便の始末をすることは全く不可能となり、排便はいわば「垂れ流し」の状態となることを余儀なくされるものと認められるのであり、このことが被使用者の人間としての自尊心を著しく傷つけ、被使用者に対し強い精神的苦痛を与えるものであることは明らかである。
また、両手後ろの方法による手錠の被使用者が食事を独力でとろうとすれば、首を突き出し、口のみを用具として摂食するというようないわゆる「犬喰い」の方法によらざるを得ないものと認められるのであり、このような状況の下におかれることも被使用者の自尊心を著しく傷つけ、被使用者に対し強い精神的苦痛を与えるものであることは明らかである(なお、被控訴人は、右の点について、食事の際には刑務所職員が介添えをしようとしたのにかかわらず、控訴人甲野がこれを拒否したのであるから、右のような状況は控訴人甲野が自ら選択した結果といえ、不当な取扱いではないとするようであるが、そもそも、食事をとることは人間としての生存の基本的な条件であり、食欲は根源的な生理的欲求である以上、保護房に拘禁された健康な在監者が、両手後ろの状態で手錠を使用されているがために、自らの手を用いて食事をとることができず、その意に反して刑務所職員の介添えによって食事をとるか、これを拒否して「犬喰い」をするか、の選択を余儀なくされること自体、手錠の被使用者の自尊心を著しく傷つけ、被使用者に対し強い精神的苦痛を与えるものであることは明らかである。本件において、控訴人甲野が、二月二〇日の夕食は職員の介添えを拒否して結局とらなかったものの、翌二一日の朝食は独力で少しとったことは前示のとおりであるが、これは、控訴人甲野において、二〇日の夕食の段階では、「犬喰い」をすることはその自尊心が許さなかったため、結局、食事をとらない途を選択したからであり、しかし、翌朝になると、職員の介添えはなお拒否したものの、強まる空腹感の前に自尊心をかなぐり捨て、「犬喰い」をせざるを得なくなったからと窺われるのである。)。
さらに、両手後ろの方法による手錠の被使用者が就眠しようとする場合、両手首が腰部の背中側で分厚い腕輪を通して革ベルトに固定されているのであるから、仰向けに寝ることが困難であることはいうまでもないところであるが、うつ伏せになることも、あるいは横臥することも上腕部や背部等の痛みを伴うものと認められるのであり、このような肉体的苦痛と身体の挙動の自由を著しく制限されていること自体による精神的苦痛とが相まって、被使用者の就眠を困難にするものと窺われるところである。
〔当審・検証の結果、控訴人甲野供述(原審・当審)、弁論の全趣旨〕
(二) これに対し、両手前の方法により革手錠及び金属手錠を使用されることにより、被使用者が受ける身体の拘束の程度及びこれに伴う苦痛の程度等についてみると、この場合においても被使用者の両腕の自由な運動が強く制限されることは(三)に説示するとおりであるが、手錠を装着されること自体によって受ける身体的な痛みの程度は相当程度緩和されるものと認められるのであり、前示の排便の始末の点についてみると、控訴人甲野においては、手錠が両手前の方法で使用されたときは、体の痛みを伴うものではあったが、辛うじて股間に手が届き、排便の始末をすることができたところである。また、食事の点についてみると、本件刑務所においては、手錠を両手前の状態で使用している場合には、被使用者は自分で食事をとれるものとして、介添えをしないこととしており、控訴人甲野においても不自由ではあったものの、紙製のスプーンを利用するなどして食事を取ることができたのである。さらに、手錠が両手前の方法によって使用されている場合には、手錠の被使用者が仰向けに寝ることができることは明らかであり、横臥することも身体にさほど不自然な緊張を強いることなく可能であると認められる(ちなみに、本件通牒も、手錠の使用方法について被使用者の食事や用便の際には、施錠を一時外すべきこと、これにより難い場合でも、できるだけ、革手錠のベルトを緩くする、片手の施錠を外す、両手を前にするなどの配慮をすべきことを明らかにしているところである。なお、本件においては、蒔山保安課長は、控訴人甲野に対し両手後ろの方法により手錠を使用している間、右のような措置をとらなかったものと認められる。)。
〔甲八号証、当審・検証の結果、原審・蒔山証言、控訴人甲野供述(原審・当審)、弁論の全趣旨〕
(三) そして、右にみたような、保護房内において、両手後ろの方法により革手錠及び金属手錠を使用されることにより、被使用者が受ける身体の拘束の程度及びこれに伴う苦痛の程度と、両手前の方法により革手錠及び金属手錠を使用されることにより、被使用者が受ける身体の拘束の程度及びこれに伴う苦痛の程度とを比較すると、とりわけ食事、排便、就眠といった人間として生存するために最低限必要な生理的行動をとろうとする局面において、被使用者が受ける身体的、精神的苦痛の程度には、軽視し難い重要な差異があると認められるのであり、両手後ろの方法により革手錠及び金属手錠を使用されることにより、被使用者が受ける身体的、精神的苦痛の程度はより深刻かつ強度のものといわざるを得ないのである。
(四) そこで、次に、右に考察した点を踏まえて、本件において、控訴人甲野に対し、両手前の方法により手錠を使用することでは戒護の目的を達成することができず、あえて両手後ろの方法によって革手錠及び金属手錠を使用する必要性があったか否かについて検討すると、被控訴人は、右の点に関し、革手錠は暴行の主たる手段となる両腕の自由な運動を制限し、被使用者の暴行を抑制、予防する機能を有するものであるが、両手前で手錠を使用した場合には腕以外の足や体全体を使った暴行には十分に対処できないので、そのような場合には、被使用者の重心を後方に移動させることになり、被使用者が刑務所職員に暴行しようとして突進しようとする際の機敏な前進動作を抑制すると同時に、職員による被使用者の抑制を容易にする両手後ろの方法で手錠を使用することによって対処することとなる。したがって、革手錠を使用されても、さらに暴行のおそれが顕著と認められる者に対しては、革手錠を両手後ろの方法で使用する場合が多いところ、控訴人らは、革手錠使用前の暴行時において、身体を左右に揺さぶり、両足をばたつかせ、足蹴りしようとするなど、現に腕以外の身体部分を使用して暴行に及んでおり、今後、手錠を使用したとしても、足や体全体を使ってさらに暴行しようとする著しいおそれがあったのであるから、控訴人らに対する両手後ろの方法による革手錠の使用は適正である旨主張する。
確かに、当審における検証の結果及び弁論の全趣旨によれば、革手錠の使用による被使用者に対する暴行抑制効果に関し、両手前の方法による場合と両手後ろの方法による場合とで、一般に、被控訴人が指摘するような差異があること自体は、一応、首肯し得るところである。
しかしながら、本件刑務所において使用されている革手錠は、前示のとおり、一本の腹部ベルトと二個の腕輪から構成されているところ、腹部ベルトは牛革の二層構造で、一層と二層の間に銅線を入れることで強度を保っている強靭で厚みのあるものであり、これに被使用者の両手首部分を通した腕輪を装着し、さらに、腕輪の脱落を防止するために金属手錠を併用しているのであって、革手錠を両手前の方法により使用した場合であっても、被使用者の両手首は腰部の腹側で体に接着して固定され、その結果、被使用者の両腕は上腕部分から手首まで全体としてその自由な運動が強く制限されることとなるものと認められる。そして、被控訴人が指摘するような、保護房内において、被使用者が職員に対し暴行しようとして突進しようとする事態を想定しても、被使用者において、右のような状態で身体の重心のバランスを適切にとり、機敏に前進動作をとることは容易でないものと認められるのであって、両手前の方法により手錠を使用する場合には、保護房内に立ち入る複数の職員ら(原審・蒔山証言によれば、本件刑務所においては、保護房内に職員が立ち入る際には必ず複数の職員がこれに当たっているものと認められる。)において、被使用者の足や体全体を使った暴行に的確に対処することができないものとは到底認め難いところである。〔当審・検証の結果、弁論の全趣旨〕
いずれにせよ、被使用者に対する暴行抑制効果の観点からは、両手後ろの方法による手錠使用の場合の方がより効果的であるということはできるとしても、保護房内に立ち入る際には必ず複数の職員をもってこれに当たっている本件刑務所において、両手前の方法により手錠を使用する場合と両手後ろの方法により手錠を使用する場合とで、通常、有意義な差異を生じるものと認めることはできないといわざるを得ないのである(なお、本件においては、控訴人の主張するところと異なり、控訴人甲野は、連行しようとした職員に対して執拗に抵抗してはいたものの、それ以上に、積極的に職員に対し暴行を加えようとしたものとまで認められないことは前示のとおりである。)。
(五) 右のとおり、保護房内において、両手後ろの方法により革手錠及び金属手錠を使用されることにより被使用者が受ける身体的、精神的苦痛の程度は、両手前の方法により革手錠及び金属手錠を使用されることにより被使用者が受ける身体的、精神的苦痛の程度と比べ、ことに、食事、排便、就眠といった人間として生存するために最低限必要な生理的行動をとろうとする局面において、軽視し難い重要な差異があり、その苦痛の程度はより深刻かつ強度のものであること、これに対し、本件の具体的な状況の下においては、両手前の方法による手錠の使用により、控訴人甲野に対する戒護の目的を十分に達成することができたものと認められることにかんがみれば、本件において、控訴人甲野に対し、あえて両手後ろの方法によって革手錠及び金属手錠を使用する必要性があったものと認めることは到底できないのであり、控訴人甲野に対してした両手後ろの方法による手錠の使用は、戒護の目的達成のための必要最小限度の範囲、方法を明らかに逸脱し、控訴人甲野に対し、いたずらに身体的、精神的に強度の苦痛を与えたものというほかはなく、右のような両手後ろの方法による手錠の使用及びその継続は、本件刑務所長に委ねられた裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものとして、違法の評価を免れないものというべきである(なお、本件通牒においては、両手後ろの方法による手錠の使用について、類型的には、それが、右通牒において禁止している「著しく苦痛を伴うような不自然な姿態を強いる等の方法での使用」に当たらないものとして取り扱われていることが認められるが、前示のとおり、手錠の使用は戒護の目的達成のための必要最小限度の範囲、方法において使用されなければならないのであり、本件の具体的状況の下においては、両手前の方法による手錠の使用により、戒護の目的を十分に達成することができたものと認められるのであるから、右のような本件通牒における取扱いの存在をもって、本件における両手後ろの方法による手錠の使用の適法性を基礎づけることはできない。)。
そして、前示の諸事情に照らせば、控訴人甲野に対し違法な手錠の使用をしたことについて、本件刑務所長に過失があったものというほかはない。
5 次に、前示のとおり、本件刑務所長は、控訴人甲野に対し、保護房内において、平成三年二月二一日午後零時ころ以降、同月二四日午後零時一〇分ころまでのほぼ三日間にわたり、革手錠及び金属手錠を両手前の状態でかけ、その使用を継続したところであるが、前示のように、控訴人甲野が、保護房内に拘禁された後も、房内を俳徊し、保護房の壁を蹴ったり、職員を睨み付ける等の行動をとっており、右の間、興奮状態が未だ鎮静化していなかったこと等を考慮すれば、手錠の使用は戒護の目的達成のための必要最小限度の範囲において使用されなければならないとの判断基準に照らしても、蒔山保安課長において、控訴人甲野が本件刑務所職員に対して暴行を加えようとする具体的なおそれがあり、なお手錠の使用を継続する必要性があると判断したことが直ちに合理性を欠くものとまで判断することはできず、したがって、右の間、控訴人甲野に対し革手錠及び金属手錠の使用を継続したことについて、本件刑務所長に委ねられた裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものということはできない。
また、前示のとおり、本件通牒は、手錠の使用方法について、被使用者の食事や用便の際には、施錠を一時外すべきこと、これにより難い場合でも、できるだけ、革手錠のベルトを緩くする、片手の施錠を外す、両手を前にするなどの配慮をすべきことを明らかにしているが、蒔山保安課長は、控訴人甲野に対する手錠の使用方法を両手前に変更した後も、食事や用便の際も、控訴人甲野が職員に暴行するおそれがあると判断し、手錠を外す、革手錠のベルトを緩くする、片手錠とするといった措置はとらなかったものと認められる(原審・蒔山証言、原審・控訴人甲野供述)。しかしながら、前示のような保護房内における控訴人甲野の挙動等に照らせば、右のような蒔山保安課長の措置について、本件刑務所長に委ねられた裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものと断ずることはできない。
6 したがって、控訴人甲野に対する手錠の使用は、平成三年二月二〇日午後二時二〇分過ぎころから翌二一日午後零時ころまでの間、保護房内において、革手錠及び金属手錠を両手後ろの状態でかけ、その使用を継続した点については違法というべきであるが、その余の関係については違法があったものとは認められず、また、憲法一八条、憲法三六条、憲法一三条に反するものとも認められない。
五 争点4(控訴人甲野に対する懲罰が違法か否か)について
争点4についての当裁判所の認定判断は、原判決の「第三 判断」の四に説示するところと同旨であるから、これを引用する。
ただし、原判決二八枚目裏七行目の「科すことができる」の次に「(監獄法五九条)」を加え、二九枚目表二行目の「属する」を「委ねられている」と、四行目の「裁量権を逸脱した」を「監獄の長に委ねられた裁量権の範囲を超え、又はその濫用があった」と、裏五、六行目の「その裁量権を逸脱した」を「本件刑務所長に委ねられた裁量権の範囲を超え、又はこれを濫用した」と、それぞれ改める。
六 控訴人乙山に対する事情聴取の状況、保護房拘禁、懲罰処分の経緯等について
控訴人乙山に対する事情聴取の状況、保護房拘禁、懲罰処分の経緯等についての当裁判所の認定事実は、原判決の「第三 判断」の五に記載するところと同旨であるから、これを引用する。
ただし、原判決二九枚目裏八行目の「争点4ないし6について、」を削り、九行目の「乙山」の次に「(原審・当審)」を加え、同行の「事実取調べ」を「事情聴取」と改め、九、一〇行目の「状況」の次に「保護房拘禁、懲罰処分の経緯等」を、一一行目の「二九日」の次に「午前一〇時ころ」をそれぞれ加え、三一枚目表一〇行目の「両手」から一一行目の「使用し、」までを「控訴人乙山の両手を腰部の後ろにして革手錠をかけ、さらに、革手錠の腕輪から控訴人乙山の手首が離脱することを防止するため、両手首に金属手錠各一個をそれぞれ二輪にしてかけ、」と改め、同一一行目の「革手錠の」の次に「ベルトの」を、三一枚目裏二行目の「佐藤」の前に「本件刑務所長から保護房拘禁に関する権限の委任を受けていた警備隊長は、」を、それぞれ加え、同行の「、警備隊長も」を削り、三行目の「見て、」の次に「職員に対し暴行又は傷害を加えるおそれがあり、普通房に拘禁することは不適当であると認め、」を加え、同三行目、三二枚目表四行目、七行目、八行目、一〇行目の各「収容」をいずれも「拘禁」と、三二枚目表一行目の「後手錠」を「両手後ろ」と、それぞれ改め、二行目の「四五分」の次に「ころ」を加え、同行の「前手錠」を「両手前」と、四、五行目の「要求し」を「怒鳴ったり、職員を睨み付け、あるいは」と、六行目の「原告」から七行目の「三一日」までを「三月三一日午前八時三〇分ころ、控訴人乙山に対する手錠の使用をすべて解除し、四月一日午前九時五〇分ころ、控訴人乙山に対する保護房拘禁の事由が消滅したものと判断し、」と、三二枚目裏四行目の「被収容者」を「在監者」と、それぞれ改める。
七 争点5(本件刑務所職員が控訴人乙山に対して違法な暴行をしたか否か)について
争点5についての当裁判所の認定判断は、原判決の「第三 判断」の六に説示するところと同旨であるから、これを引用する。
ただし、原判決三三枚目表二行目及び四行目の各「収容」をいずれも「拘禁」と、七行目の「供述はにわかに信用しがたい。」を「供述を直ちに採用することはできない。」と、それぞれ改め、一〇行目の「当たるものと」の次に「まで」を加える。
八 争点6(控訴人乙山に対する保護房拘禁措置が違法か否か)について
1 原判決三三枚目裏二行目から一〇行目までの記載を引用する。ただし、一〇行目の「信用」を「採用」と改める。
2 ところで、前示三2のとおり、保護房拘禁の必要性に関する判断は、基本的には、監獄における施設及び在監者の管理について責任を負っている所長の専門的知識ないしは経験に基づく裁量に委ねられているものということができるが、ある在監者について保護房拘禁の必要性があるとした所長の判断が、「保護房には、『職員又は他の収容者に暴行又は傷害を加えるおそれがある者』、『制止に従わず、大声又は騒音を発する者』等に該当するものであって、普通房に拘禁することが不適当と認められる場合に限り、拘禁するものとする。」旨の本件通達の定める要件を充足する事実が存在していないのにかかわらず、これが存在するものとしてなされた場合には、右の判断は、監獄の長に委ねられた裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものとして、違法の評価を免れないものというべきである。
3 そこで、これを本件についてみると、控訴人乙山は、右のとおり本件刑務所職員に対し殴り掛かろうとしたものとまでは認められないが、スリッパを擦って歩かないようにとの職員の注意や指示に従わず、職員の質問も無視し、調室における佐藤警備係長の事情聴取に対しては、同係長を睨んで黙秘を続け、さらに、スチール机の足を強く蹴ったうえ、職員に殴り掛かるように見える動作をしたため、職員がこれを制圧しようとしたのに対し、放せと怒鳴りながら体を左右に回転させるようにゆすり、両足を蹴り上げるようにするなどして執拗に抵抗したのであるから、本件刑務所長から保護房拘禁に関する権限の委任を受けていた警備隊長において、控訴人乙山について、職員に対し暴行又は傷害を加えるおそれがあり、普通房に拘禁することは不適当であると認め、保護房拘禁の必要性があると判断したことが、本件通達が定める要件を充足する事実が存在していないのにかかわらず、これが存在するものとしてなされたものと認めることはできず、右の判断が、委ねられた裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものということはできないというべきである。
また、控訴人乙山は、引用に係る原判決の第三の五4に認定のとおり、平成三年三月二九日午前一〇時三〇分過ぎころ保護房に拘禁された後も、保護房内を俳徊し、手錠を外せと怒鳴ったり、食事等を運んできた職員に暴行を加えるかのような気配を示していたのであるから、控訴人乙山の興奮状態が鎮静化したことにより、控訴人乙山に対する保護房拘禁の事由が消滅したものと認め、保護房拘禁措置を解除した四月一日午前九時五〇分ころまでのほぼ三日間、控訴人乙山を保護房に拘禁し続けた蒔山保安課長の保護房拘禁継続の必要性に関する判断も、それが委ねられた裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものとまでは認められない。
その他、本件において、控訴人乙山に対する保護房拘禁措置が、戒護のための独居拘禁措置とは関係のない目的や動機に基づいてなされた等、本件刑務所長に委ねられた裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものと判断すべき事情を認めるに足りる証拠はない。
4 したがって、控訴人乙山に対する保護房拘禁措置が違法であるとは認められない。また、控訴人乙山に対する保護房拘禁措置が憲法一八条、憲法三六条、憲法一三条に反するものとも認められない。
九 争点7(控訴人乙山に対する手錠使用が違法か否か)について
1 戒具としての手錠の使用の必要性に関する判断については、前示四2のとおり、一定の範囲において、監獄における施設及び在監者の管理について責任を負っている所長の専門的知識ないしは経験に基づく裁量に委ねられているものということができるが、その裁量判断は、暴行、逃走若しくは自殺の具体的なおそれがある在監者について、手錠を使用することが必要であると認められる場合に限り、かつ、戒護の目的達成のための最小限度の範囲、方法において使用されなければならないとの判断基準に基づいて、合理的にされなければならないものというべきであって、ある在監者について手錠の使用の必要性があるとした所長の判断が、あるいは具体的に行われた手錠の使用方法に関する所長の判断が、右の判断基準に照らし合理的なものとして肯認できない場合においては、その手錠の使用は、所長に委ねられた裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものとして、違法の評価を免れないものというべきである。
2 そこで、これを本件についてみると、引用に掛かる原判決の第三の五2に認定のとおり、控訴人乙山は、調室における佐藤警備係長の事情聴取に際し、スチール机の足を強く蹴ったうえ、職員に殴り掛かるように見える動作をしたため、職員がこれを制圧しようとしたのに対し、放せと怒鳴りながら体を左右に回転させるようにゆすり、両足を蹴り上げるようにするなどして執拗に抵抗し、相当の興奮状態にあったのであるから、佐藤警備係長において、控訴人乙山が本件刑務所職員に対して暴行を加えようとする具体的なおそれがあり、手錠を使用する必要性があると判断したこと自体については、前示の手錠の使用の必要性に関する判断基準に照らし、合理性を欠くものと断定することはできず、したがって、控訴人乙山に対し、革手錠及び金属手錠を使用したこと自体については、本件刑務所長に委ねられた裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものということはできない(なお、控訴人乙山に対する手錠の使用についても、前示四2の控訴人乙山に関する認定判断と同旨の理由により、手錠使用の手続面における違法は認められない。)。
3 しかしながら、前示四4(一)ないし(三)のとおり、保護房内において、両手後ろの方法により革手錠及び金属手錠を使用されることにより被使用者が受ける身体的、精神的苦痛の程度は、両手前の方法により革手錠及び金属手錠を使用されることにより被使用者が受ける身体的、精神的苦痛の程度と比べ、とりわけ食事、排便、就眠といった人間として生存するために最低限必要な生理的行動をとろうとする局面において、軽視し難い重要な差異があり、その苦痛の程度はより深刻かつ強度のものであること(本件においては、蒔山保安課長は、控訴人乙山に対し両手後ろの方法により手錠を使用している間、控訴人乙山の食事や用便の際にも、本件通牒が明らかにしているような施錠を一時外す、革手錠のベルトを緩くする、片手の施錠を外す、両手を前にするなどの措置をとらなかったものと認められる。そして、控訴人乙山は、両手後ろの方法により革手錠及び金属手錠を使用されていた三月二九日の午後に排便をしたが、紙を使うことができず、いわゆる「垂れ流し」を余儀なくされたものと認められる。また、前示のとおり、控訴人乙山は、手錠を両手後ろの状態で使用されていた三月二九日は昼食も夕食もとらず、翌三〇日の朝食も茶を飲んだだけであったが、手錠の使用方法が両手前に変更された三〇日の昼食からは食事をとり始めたのであるが、これは、控訴人乙山において、手錠が両手後ろの状態で「犬喰い」をすることはその自尊心が許さなかったため、空腹に耐え、食事をとらない途を選択したからであると認められる〔原審・蒔山証言、原審・控訴人乙山供述〕。なお、控訴人乙山供述(原審・当審)によれば、控訴人乙山においては、手錠が両手前の状態でも排便の始末をすることはできなかったもののように窺われるが、そうであるとしても、保護房内において、両手後ろの方法により革手錠及び金属手錠を使用されることにより被使用者が受ける身体的、精神的苦痛の程度と両手前の方法により革手錠及び金属手錠を使用されることにより被使用者が受ける身体的、精神的苦痛の程度との差異の評価に関する右の認定判断が左右されるものではない。)、これに対し、前示四4(四)の認定説示に照らせば、本件の控訴人乙山に関する具体的な状況の下においても、少なくとも保護房内においては、両手前の方法による手錠の使用により、控訴人乙山に対する戒護の目的を十分に達成することができたものと認められることにかんがみれば、本件において、控訴人乙山に対し、平成三年三月二九日午前一〇時三〇分過ぎころ控訴人乙山を保護房に拘禁してから翌三〇日午後零時四五分ころまでの間、革手錠及び金属手錠を両手後ろの方法でかけ、その使用を継続する必要性があったものと認めることは到底できないのであり、控訴人乙山に対してした両手後ろの方法による手錠の使用は、戒護の目的達成のための必要最小限度の範囲、方法を明らかに逸脱し、控訴人乙山に対し、いたずらに身体的、精神的に強度の苦痛を与えたものというほかはなく、右のような両手後ろの方法による手錠の使用及びその継続は、本件刑務所に委ねられた裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものとして、違法の評価を免れないものというべきである(なお、調室内において、控訴人乙山に対し両手後ろの方法により手錠を使用した点については、前示のように、制圧しようとした職員に対し控訴人乙山が激しく抵抗し、相当の興奮状態にあったことや、佐藤警備係長ら職員がそのような突発的な事態に緊急に対処しなければならないという状況の下でとられた措置であることを考慮すると、その必要性に関する判断が合理性を欠くものと断定することはできず、したがって、右の手錠の使用について、本件刑務所長に委ねられた裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものということはできない。)。
そして、前示の諸事情に照らせば、控訴人乙山に対し違法な手錠の使用をしたことについて、本件刑務所長に過失があったものというほかはない。
4 次に、前示のとおり、本件刑務所長は、控訴人乙山に対し、保護房内において、平成三年三月三〇日午後零時四五分ころ以降、翌三一日午前八時三〇分ころまでの間、革手錠及び金属手錠を両手前の状態でかけ、その使用を継続したところであるが、前示のように、控訴人乙山が、保護房内に拘禁された後も、房内を俳徊したり、職員を睨み付ける等の行動をとっており、右の間、興奮状態が未だ鎮静化していなかったこと等を考慮すれば、手錠の使用は戒護の目的達成のための必要最小限度の範囲において使用されなければならないとの判断基準に照らしても、蒔山保安課長において、控訴人乙山が本件刑務所職員に対して暴行を加えようとする具体的なおそれがあり、なお手錠の使用を継続する必要性があると判断したことが直ちに合理性を欠くものとまで断定することはできず、したがって、右の間、控訴人乙山に対し革手錠及び金属手錠の使用を継続したことについて、本件刑務所長に委ねられた裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものということはできない。
また、前示のとおり、本件通牒は、手錠の使用方法について、被使用者の食事や用便の際には、施錠を一時外すべきこと、これにより難い場合でも、できるだけ、革手錠のベルトを緩くする、片手の施錠を外す、両手を前にするなどの配慮をすべきことを明らかにしているが、蒔山保安課長は、控訴人乙山に対する手錠の使用方法を両手前に変更した後も、食事や用便の際も、控訴人乙山が職員に暴行するおそれがあると判断し、手錠を外す、革手錠のベルトを緩くする、片手錠とするといった措置はとらなかったものと認められる(原審・蒔山証言、原審・控訴人乙山供述)。しかしながら、前示のような保護房内における控訴人乙山の挙動等に照らせば、右のような蒔山保安課長の措置について、本件刑務所長に委ねられた裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものと断ずることはできない。
5 したがって、控訴人乙山に対する手錠の使用は、平成三年三月二九日午前一〇時三〇分過ぎころから翌三〇日午後零時四五分ころまでの間、保護房内において、革手錠及び金属手錠を両手後ろの状態でかけ、その使用を継続した点については違法というべきであるが、その余の関係については違法があったものとは認められず、また、憲法一八条、憲法三六条、憲法一三条に反するものとも認められない。
一〇 争点8(控訴人乙山に対する懲罰が違法か否か)について
争点8についての当裁判所の認定判断は、原判決の「第三 判断」の八に説示するところと同旨であるから、これを引用する。
ただし、原判決三六枚目表四行目の「所長の裁量権を逸脱した」を「本件刑務所長に委ねられた裁量権の範囲を超え、又はこれを濫用した」と改める。
一一 国際人権規約B規約違反の主張について
1 控訴人らは、国際人権規約B規約七条前段は「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い……を受けない。」と規定し、また、B規約一〇条一項は「自由を奪われたすべての者は、人道的にかつ人間の固有の尊厳を尊重して、取り扱われる。」と規定しており、これらの規定な国内法としての直接的効力を有し、かつ、法律である監獄法に優位する効力を有するところ、控訴人らに対し、革手錠を使用したうえ、居住性の極めて劣悪な保護房へ拘禁したこと(保護房及び革手錠の併用)自体が、「非人道的」かつ「品位を傷つける」取扱いであり、「人間の固有の尊厳を尊重し」ない取扱いであって、B規約の右各規定に違反するものであり、そうでないとしても、保護房及び革手錠併用行為の苛烈さを考えると、控訴人らに対し、一昼夜もの間革手錠を両手後ろの状態で使用して保護房に拘禁し、革手錠の使用を両手前の状態に変更してからも、控訴人甲野については約四日間もの間、また、控訴人乙山についても一昼夜の間、保護房に拘禁したうえ、革手錠を使用した取扱いは、控訴人らに対し、非衛生的な環境の下、肉体的・精神的な高度の苦痛を与え、「恐怖感、苦悩、劣等感をひき起こし、彼らを辱め卑しめて身体的あるいは精神的抵抗を崩壊せしめる可能性を有する」ものであって、B規約七条前段の定める「拷問」に当たるか、少なくとも「非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い」に当たり、更には「人道的にかつ人間の固有の尊厳を尊重して、取り扱われる」ことを定めたB規約一〇条一項に反する取扱いであって、違法である旨主張する。
2 そこで、右の点について検討すると、我が国は、昭和五四年六月二一日、国際人権規約B規約を批准し、同年九月二一日、同規約の我が国内における効力が発生し、同規約は、日本国憲法を最高法規とする我が国法体系の一部を構成することとなったものであるが、控訴人らが援用するB規約七条前段及び一〇条一項の規定内容に照らせば、これらの条項は、特段の立法措置をまたずに、我が国における法規として直接これを適用することが可能というべきであり、かつ、条約である同規約の効力は、国内法である監獄法及び規則の規定に優位する関係にあるから、右条項に抵触する監獄法及び規則の関係規定は、抵触する限度で、その効力を否定されることになる。そして、このことは、監獄法及び規則等の関係規定は、それが可能である限り、B規約七条前段及び一〇条一項の規定に抵触することがないように解釈され、適用されなければならない、ということを意味する。
もっとも、我が国が日本国憲法秩序の下において、国際人権規約B規約を批准し、B規約が国内法としての効力を有することを受容した経緯に照らし、また、拷問を禁止した憲法三六条及びすべての国民が個人として尊重されることを保障した憲法一三条の各規定の趣旨、内容に照らせば、B規約七条前段及び一〇条一項の規定の文言は憲法の右各規定のそれよりもやや具体的かつ詳細なものということができるが、B規約の右条項の保障する権利・自由の性質、内容及び範囲自体は、憲法の右各規定が保障する権利・自由の性質、内容と異なるものではなく、その範囲を超えるものでもないと解されるところである。すなわち、B規約七条前段は、「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い……を受けない。」と規定しているが、憲法においては、三六条が拷問を禁止しているものの、「残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い」を禁止する旨の直接的な明文の規定は存しないところである。しかしながら、憲法上も右のような取扱いが許されないことは、一三条前段が「すべて国民は、個人として尊重される。」と規定し、個人の尊厳や人格の尊重を宣言していることからも明らかである。また、B規約一〇条一項は、「自由を奪われたすべての者は、人道的にかつ人間の固有の尊厳を尊重して、取り扱われる。」と規定しているが、憲法においては、これと文言上直接に対応する規定は存しない。しかし、憲法一三条の規定が、被拘禁者についても、個人としてその尊厳や人格を尊重され、人道的に取り扱われるべきことを求めていることは明らかである。
そして、前示の控訴人らに対する保護房拘禁措置の違法性及び手錠使用の違法性に関する当裁判所の判断は、当然のことながら、右のような日本国憲法体系(B規約も、その一部を構成する。)の下における監獄法及び規則の合理的な解釈、適用を基礎として行ったものであることはいうまでもないところであり、右のような法令解釈の方法によりすれば、ある保護房拘禁措置及び手錠使用が監獄法及び規則には適合するが、B規約の右各条項には反するという法令の適用関係は想定できないから、B規約違反に関する控訴人らの右主張は、つまるところ監獄法及び規則違反の主張に帰着するものというべきであり、したがって、右の主張に対しては前示三、四、八及び九において既に判断済みということになる。
なお、控訴人らは、右の主張において保護房拘禁措置及び革手錠の併用の点を協調するので、念のため付言すれば、保護房拘禁措置及び革手錠の併用はそのこと自体で国際人権規約B規約七条前段、一〇条一項に違反するとの点は、事柄の性質上、その違法性は具体的な事案ごとに検討すべきものであって、保護房拘禁中に被拘禁者に対し革手錠を使用したからといって、それが当然にB規約に違反するものと解すべき理由はないから、これを採用することはできない。そして、本件の具体的な状況の下において、控訴人らを保護房に拘禁したうえで、手錠を使用したこと(保護房拘禁下における手錠の併用)の違法性ないしB規約七条前段、一〇条一項違反性については、前示四及び九において認定判断したとおりである。
一二 控訴人らの損害について
1 慰謝料
控訴人らは、前示のように、いずれも、保護房において、およそ一昼夜の間、違法に両手後ろの方法により革手錠及び金属手錠を使用されたものであり、これにより身体的、精神的に強度の苦痛を被ったことは明らかである。
そして、本件に顕れた諸般の事情を総合考慮すれば、控訴人らの右の苦痛に対する慰謝料は、それぞれ五〇万円をもって相当と認める。
2 弁護士報酬
弁論の全趣旨によれば、控訴人らは、本件訴訟を提起するに当たり、控訴人ら訴訟代理人に対する弁護士報酬としてそれぞれ一〇〇万円の支払いを約したことを認めることができる。
そして、本件訴訟追行の難易及び認容額、その他本件に顕れた諸般の事情を総合考慮すれば、右の不法行為と相当因果関係のある控訴人らの損害としての弁護士報酬の額は、それぞれ一〇万円と認める。
第四 結論
以上のとおりであるから、控訴人らの本訴請求は、被控訴人に対し、それぞれ六〇万円の支払いを求める限度で理由があるから、その限度でこれらを認容すべきであるが、その余はいずれも理由がないから、これらを棄却すべきものである。
したがって、控訴人らの本訴請求をすべて棄却した原判決は、右の限りで不当であるから、これを主文のとおり変更することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六七条二項、六一条、六四条、六五条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官塩崎勤 裁判官橋本和夫 裁判官川勝隆之)